• Elliot Cooper

クラッシュコース(第4回OSJ山中温泉トレールレース80キロ)

Updated: May 23

もう目が覚めている。2時半のアラームを待っている。今日は6月24日、2018年、山中温泉トレイルレース第4回の日。2015年に、これは僕の初めてのトレイルレース、そして、僕の初めてのウルトラだった。毎年はその前より強い、よりいいランナーに成り、このレースと僕は深い縁がある:僕のランナーとしての成長を計るレースだ。目覚ましがなると睦美がいきなり準備を始める。3時までに出発しないといけない。「おはようございます」友田さんに言う。今年70歳。今日は長くて大変な一日になると伝えたが、それでも彼は行きたいと言う。睦美とエイドまで運転したり、写真を撮ったり、食べ物を渡したり、元気をくれたりする。凄い人だ。

気分は高揚してるけれど、心配事はいくつかある。一昨年前から、このレースは10月の涼しい季節に開催されていた。しかし、今日の天気予報だと、気温は30度まで上がる。2015年8月のこのレースから学んだのは、このコースに暑い天気は危険だということ。もう一つの心配は、週間走行距離160キロのはずだったレース前のトレーニング予定が、この4週間で合計4キロくらいしか走れていない。三つ目の心配事はこの期間走ってない理由と一緒で、右鎖骨の骨折は完全に治っていない。右手は肩より上には上がらず、それから右手に力は入れられない(例えば、テクニカルな場所を下る時、ロープを捕むのに必要な力)。転んでしまったら自分はどうなるか、を考えたくない。

山中温泉トレイルレースは大好きなレースだ。美しく挑戦しがいのあるコース。このコースの前半、選手たちは富士写ヶ岳(941m)と大日山(1368m)という素晴らしい二つの山を登る。後半は、まだ前半の二つの大きくて険しい登りと、あちこちに点在する不安定な下りから回復しきっていない足の状態で、選手たちは終わりのみえないアップダウンに耐え、最後に岩だらけの鞍掛山(478m)をよじ登る精神力が必要となる。最後の1キロは間違いなく世界でも類を見ない、絵になるフィニッシュだろう。大聖寺川沿いの芭蕉堂の前を通り、山中座と菊の湯の前でゴール。壮大なレースを完走してから数分後に、歴史的な温泉で筋肉痛を癒せるレースは他にどこにあるだろう。

レース直前、僕は友達に囲まれている。自信や今日の課題を語る。森嵜さんと南川さんは「膝が痛い」、「いやぁ、このレースは完走出来ないと思う」と言う。「大丈夫。できるでしょう!」と僕が言う。その時、ある考えが浮かんだ。「僕の体は走ることをまだ覚えているんだろうか」。80キロのウルトラトレイルのスタートに立っている時点で、この考えは厄介だ。5時になり僕たちは走り出す。左の股関節に覚えのある神経痛が出てきたせいで、最初の数百メートルは本当にぎこちない。僕のゾンビのような走りのせいで、多くの選手に抜かれる。何でもないように装い、股関節は治るからと自分に言い聞かせる。

登りが得意な僕は、最初の登りは全体的に走る。他の選手がパワーハイクを選択したため、何人も楽に抜ける。森嵜さんに追いつく。彼は最初の山々で頑張りすぎないように登ったり、下りで膝に気を付けたりしている。あちらこちら喋りながら一緒に走る。彼と最後に会ったのは去年の12月、一緒に雪山登山装備なしで冠岳を登った。その時の雪はとても深く、木の上部辺りを歩くことになるほどだった。それは素晴らしい冒険で、僕らにとってとても良い思い出だったことを話す。苅安山へ渡ると九谷ダム方面のぐにゃぐにゃの下り道を走る。僕の左の股関節はまだ良くなってくれないからちょっと止まり、ストレッチ。後ろから森嵜さんの声が聞こえると「なんだ?尻痛いのか?」、「いや」と股関節に指さしながら答える「ここが痛い」、「あ、そこか。まぁ、みんな大体どこかが痛いよな」。森嵜さんが言うのは間違いない、実はこの痛みはいつか治るのは分かっている。もっと早く治って欲しいけど今日はそうならないらしい。今、実際に心配なのはお腹だ。

我谷ダムを渡ったら、富士写ヶ岳の長い尾根登りへの吊橋を渡る。お腹の鬼を追い払う事ができる場所はほとんどない。尾根が広がり藪に入れない。でも、やむにやまれず、無理に入って問題を解消。超安心になった。これで山頂までは楽に登る。でも、富士写ヶ岳の下りが待っている、そして、転ぶことは怖い。ロープはほとんど右側にあるが左手で支える選択肢しか僕にはないので、左手を使いながらゆっくり降りる。何回も選手に道を譲る。山道から出ると転んでいない事にホッとする。去年のタイムより大分遅くなってしまっているという考えを頭から追い出し、転ばなかった事は勝利として認めないといけない。

九谷ダムを渡った後、手持ちの水が全く残っていない事を考えることで股関節の痛みをまぎらわす。でもエイドはダムの向こうにあり、そこで第一関門までの5キロのために、ソフトフラスク一本に水を入れる。橋を渡っている間に後ろから英語で声が耳に届く「じゃあ君がもう一人の外人か」。「はい」と答えながら、頭が回り始める。昨日の午後、芭蕉コーヒーで僕の名前が選手リストに乗っていなかった事を話していた。どうして知っていたかなと考える。彼の名前はカール、カナダ人で富山県に住んでいる。彼のロードで走るペースは僕には少し速いが、しばらく一緒に走り、彼のアイアンマンの体験を聞く。彼には先に行ってもらい、励ましの言葉をかける。(レースの後半、カールは足首捻挫のため65キロの地点でリタイア。)ほどなくして第一関門に到着。去年より40分遅い到着だったことを考えてはいけない。友田さんは写真を取り、睦美から元気をもらい、第二関門で飲む予定だったエネルギードリンクも貰う。平静を装って走り出すが、股関節の痛みがさらに悪くなり、100メートル後ぐらいには、歩くことしかできなくなる。

去年のKOUMI100から僕の事を覚えていてくれた古賀さんが追いつき、「クーパーさん、大丈夫?」と聞いてくれる。「先はまだ長いからマイペースで行きましょう」とアドバイスをくれるが、それは正解。僕たちはまだ27キロしか走っていない。古賀さんは先に進むと、やっと僕の足がまた動き始める。次の大日山頂への登りを楽しみにしていると、隣に同じペースで走っている選手との会話が始まる。僕が「このレースは初めてですか?」と聞くと「いや、一回目に出ました」と言う。2015年のクソ暑い山中温泉レースでの完走は「大変だった」と。彼は「UTMF3回完走、それから上州120キロ」と続ける。「上州は一番大変」。「じゃあ、2015年の山中に出たから、今日はどうなるか大体分かるね」と僕が言う。スタートからそろそろ4時間が経つ。僕の黄色いTシャツには、塩分の白い線が色々な所に付いてきている。大日山の登山口に行く道までに、持っている水はほとんど飲み干してしまうけれど、登山口に入る前にエイドがあるのは分かっている。2015年の経験から、このレースでの一番大事な事は、このエイドで水を入れられるものには必ず全ていっぱいにする事。ボトルやソフトフラスク、全部で4本に水やアクエリアスを満杯に入れた上で、一本を飲み干し、またそこに水をいっぱい入れる。さて、これで行ける。

大日山に登る道でリズムが出てきて、どこかの時点で股関節の痛みが消えたことに気付く。他の選手に追いつき始める。非常に険しい登りのセクション後に一息をついている選手に「大丈夫、大日山は大した山じゃないから」と励ます。自分は登って登る。太腿が叫んでいるがリズムは気持ちいい。途中でチーム一期一会のメンバーが応援してくれ、一緒に写真を撮る。僕は登って登って、古賀さんに追いつく。少しの間、走りながら喋ると僕は「じゃあ、先に行くね」と言って急ぐ。上に登ると森は、高くて真っすぐな木から、冬の雪の重さの影響で横に成長した木に変化する。木の間から空を目にすると、更に上にプッシュ。大日山小屋の前を通ると、もう一つのグループが応援してくれ、写真を撮る。ここから大日山頂まではトリッキーな下りと穏やかな登りがある。僕の体は走るという動きを思い出したみたいだ。大日山頂を過ぎると、小大日山に向かう。このレースを完走するのは可能かもしれないと初めて考える。

小大日山から選手たちは、このコースの中で一番テクニカルな箇所へ向かう。去年、この一部は雨の影響で大変ぬかるんでいた。ほとんどの険しい下りはお尻で滑るという選択肢しかなかった。今年は乾いているが、それでも転ぶ危険がいくつもある。石、木の根、ボロボロな階段、コースに落ちている倒木と、そしてまた木の根だ。躓くのは怖いからゆっくり気を付けて降りるが、それでも熊笹の根が僕の右足をつかみ、背中で着地する。

背中が地面に着くといきなり両足が酷く攣ってしまう。足を動かしてみるとその悲惨な痛みはさらにひどくなる。その間に鎖骨の事が浮かんでくる。上から声が聞こえた「クーパーさん」古賀さんだ。「どうしたんですか?」僕が説明すると「薬を飲みますか?」。僕のレースはもうこれで終わったから、貰ってもいいかなと思い「はい、頂きます」と受け取り飲む。すでに古賀さんに、もし転んだらもう終わりです、と伝えてはあったが、古賀さんは経験のある選手なので、この遊びはそういうものじゃない事は分かっている。「じゃあ、また後でね」と古賀さんは言い残して先に行く。選手が通ると「大丈夫ですか?」と聞かれ、僕の死んでいるヒトデのような姿勢に皆が笑う。僕も笑っている、「はいはい、大丈夫です」。数分後に立ってみる。太腿とふくらはぎが電気ショックを受けたような動きをする。鎖骨をチェックしてみると骨折はなさそう。ラッキー、と思う、とてもラッキーだ。次の関門はそんなに遠くはないはずだと考え、歩き始める。でも、その8キロは永遠に続くような感じを受ける。このセクションは去年から変更はないけれど、アップダウンが増えているんじゃないかと思う。僕は歩き、他の選手が来ると道の脇に寄って通過させる。一人の選手は英語で「Are you ok?」と聞いてくると「Yes, I'm fine」と答え少し話す。彼女は去年ボルネオのキナバル山の周辺にあるレースでふくらはぎを怪我、今日は10か月振りのカムバックレース。彼女は強い。僕が次のエイドで止めないといけないことを言い出した時、またも足が根に当たり、頭から尾根へダイブしてしまう。道から数メートル下に止まる。溜息が出て「先に行ってね、僕はしばらくここに座って休憩をします」と言う。

「止めます」と友田さんに言う。「そう」と友田さんが答える、「車はすぐそこにある。じゃあ、どうする?山中に戻って温泉に入る?」「ちょっと待って、何かを食べないといけない」。完全に終わっている感じはしないけど、足は硬く、また走り出したらすぐに攣ってしまうのは確実だ。最悪なのは転ぶことだ。鎖骨が再骨折するリスクを負うのは危険すぎる。食欲はあまりないが、そうめん二杯を無理やり流し込み、二杯目のエネルギードリンクを飲む。それは嫌な味がした。その間に、友達の選手、エノさんとハリリンがエイドに到着する。この二人のトップランナーは、2016年の103キロ愛のマラニックで男女別それぞれ一位になった。僕はまだこの二人の前に走っていることに驚き、山は得意じゃないのかなと思った。それでも二人はタフでどんな大会でも完走は確実。彼らはしばらく休憩しながら次のコースセクションの準備をする。睦美がエノさんに僕の状況を話す。それでも彼は「じゃあ、またコースで会いましょう」と僕に言い残してコースに消えていく。ハリリンも出発する。クソ、と思う。まだ8時間が残っている。友田さんを見る。彼は僕のサポートのために、今朝2時半に起きた。今辞めてしまったら午後はどうするか分からない。靴下を履き替える、去年覚えたトリックだ。「じゃあ、次のエイドまで行く」と友田さんと睦美に言う。「あそこで止めます」。

どんなウルトラでもあるけれど、必然的に独りで歌ったり、口笛を吹いたり、「ウーットウーット」と叫んだりする。蟹ノ目山の険しい登りで、意外と早くハリリンに追いつく。その後、選手達は美しくて走りやすい下りを走る。ここで僕は「ウーットウーット」と叫び、昔のパンク曲を歌い倒し、サブ5分キロペースで走っていく。森から道路に出て、第三関門へスプリント。友達のQちゃん(世界一のトレラン大会ボランティアスタッフ)は「エリちゃん、エリちゃん!(僕のこと)」と叫ぶ、マユちゃんもいる。睦美と友田さんは僕がもう着いたことに驚き、そしてエノさんもいる。もう追いついた!そしてエイドにはオレンジがある。こんなに美味しいオレンジは食べた事がない。午後の間ずっとこのオレンジを食べれるくらいだ。写真をたくさん撮ってもらう。不屈のマユちゃんは「ねえ、むっちゃんはあなたが止める事を考えてたと言ってたよ」。僕は笑顔で「止める事をやめたよ」と答える。「鎖骨のことは忘れて」とマユちゃんが笑いながら言う「足が折れてない限りに、完走しなきゃダメでしょ!」。皆が笑う、僕はまたオレンジのところに戻って食べる。エノさんは「さて、行きます」と言う。「じゃあ、僕も行く、皆ありがとうね」と走りながら叫ぶ「ウーットウーット!」。

次の登りは険しくて辛い。僕はガンガン水を飲んでしまっている。難しい岩場でロープは右側に貼ってある。できるだけ左手でロープを掴みながら登る。登って登る。太腿は悲鳴を上げるが、このコースの一部は自分が何回も通った道だ。苦しみはいつ終わるか知っている、そして自分はそれよりもっと強いのは分かる。登りの上端に着くとボランティアが左の方に誘導して「エイドまで後3キロ」と言う。問題ない。その下りは美しい杉の森を通る。足の痛みはどうってことはない。

林道の終わりに睦美を目にする「ウーットウーット」。他の友達、ハッシーとカクさん。友田さんは写真を撮る、ハッシーはうちわで扇いでくれる。皆にハイタッチ。第4関門を通ってオレンジに必死に食らいつく。オレンジはなんでこんなにクソ美味しい?みぞれ餅も試してみるけど飲み込めない。永遠に噛まないといけないようだ。大丈夫、関門もない、山は後一つ、山盛りの時間が残っている。

鞍掛山は僕の記憶通り:険しく、岩ばかりの険しい山だ。僕はプッシュプッシュプッシュする。一番急なところでレースの主催者、タモさんと写真家が待っている。タモさんと会うのは嬉しい。写真家に、タモさんとの写真を撮ってもらえるかをを聞くと彼が了承してくれる。進む前にタモさんに今年も素晴らしい大会を作ってくれてありがとうと伝える。この登りは険しいから上の方にある少し穏やかなスイッチバックの道はもう緩和な感じがする。頂上に近づくと拍手が耳に届く。お辞儀をして「ありがとう」と言う。山頂で写真を二枚撮り最後の下りに向かう。走れる所は走る、走れない所は、転ばないためにあるもの、ロープ、木の枝、を掴みながら下る。鞍掛山の出口はほとんどロープを使って沢に降りる。ここでいきなり暗くなりヘッドライトを付けて意識して進む。林道に出ると走りたい気分が強くなる。今日の一日はトレイルランニングのクラッシュコースだ、そしてこれで僕の体はトレランの術を再学習した。3人の選手に追いつき「よし、あとちょっと。行こう行こう!」と励ます。睦美はコースを逆走してきて「歌が聴こえたよ」と言う、「俺はそういう人間だ」と答える。「今どんな感じ?」「おなかの筋肉が痛い」「えりさん、スプリントはしなくてもいいよ」「あ、そうだね」と言う会話をする。睦美に感謝、それから友田さんに、タモさんに、応援してくれる友達のみんなに感謝している。痛みはある、鈍い痛み、鋭い痛み、変な痛みもあるけど、それらの痛みはもう気にならない。僕はリズムを感じ走っている。その道路で走っている。そのトンネルを通り走っている。その川沿で走っている。その歌舞伎座、その温泉へ走っている。僕は走っている。僕は走っている。僕は走っている。

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